歌野晶午

葉桜の季節に君を想うということ

「何でもやってやろう屋」を自称する元私立探偵・成瀬将虎は、同じフィットネスクラブに通う愛子から悪質な霊感商法の調査を依頼された。そんな折、自殺を 図ろうとしているところを救った麻宮さくらと運命の出会いを果たして―。

あらゆるミステリーの賞を総なめにした本作は、必ず二度、三度と読みたくなる究極の徹夜本です。

葉桜の季節に君を想うということ (文春文庫)葉桜の季節に君を想うということ (文春文庫)
歌野 晶午

十角館の殺人 <新装改訂版> (講談社文庫) 向日葵の咲かない夏 (新潮文庫) ハサミ男 (講談社文庫) 殺戮にいたる病 (講談社文庫) イニシエーション・ラブ (文春文庫)

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参考レビュー

「言語」と「虚構」。

物語とは、現実についての知識を持つ読み手と、物語自身との共同作業によって成立するものなのだ。

その、物語中で語られない部分についての「補完」が最後の最後で見事に裏切られる。物語とは畢竟文字でしかないにも関わらず、その文字でしかないものの持つ「力」を改めて見せつけられる思いだ。

単なる文字の羅列が、もっと徹底した言い方をすれば紙の上に存在する黒い染みの模様でしかないものが、読み手を笑わせもし、泣かせもするのはそのような読み手と物語との関係性において、である。

例えば主人公が着ている服の色についての説明がなかったとして、それは主人公が「色を持たない服を着ているから」だとは、読み手は解釈しない。説明されないことを、読者は自らの有する「現実に対する知識」において補う。

映像化不可能であるということ以上に、最後の最後で世界の様相ががらりと変貌する物語は数少ない。

物語とは「現実の写し」ではない。殊能将之『ハサミ男』、我孫子武丸『殺戮に至る病』などと並んで、言語の言語性を巧みに利用した作品。『葉桜の季節に君を想うということ』は、そのような共同作業を逆手に取った傑作である。

物語には主人公も脇役も存在するが、現実の世界には主人公も端役もいない。これが人間の持つ特異な能力であり神秘でもある。しかし物語とは全くの「創作」でもない。

透徹させない

読者が構築したヴィジョンを、想起したイメージを根底から覆す恍惚感がたまらない。よくやったと感嘆する構成力。桜満開だけが醍醐味じゃない、読後あなたはきっと葉桜に魅せられるだろう。

伏線回収にもいちいちなぶられる様な独特の快感があって好い。ただ、素直に受け取るかは人を選ぶ。

着想も大胆ながら、描写の自然さが凄いね。

歌野は懐古的でありながら斬新な二面性を持つ作家だと思うが、本書でみせた独特の回帰願望と先見の明はすごい。特に後者が顕著で、諸所の社会問題を鋭く示唆していて、単に謎解きだけじゃない奥行きと真実味があり心打たれる。