米原万里

嘘つきアーニャの真っ赤な真実

プラハのソビエト学校で、マリは50カ国以上の同級生と個性的な教師に囲まれた刺激的な学校生活を送る。30年後、激動の東欧の中で音信の途絶えた親友達を訪ねあてたマリが遭遇した真実とは。

嘘つきアーニャの真っ赤な真実 (角川文庫)嘘つきアーニャの真っ赤な真実 (角川文庫)
米原 万里

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参考レビュー

亡くなった名エッセイストが残した激動の時代の記録は小説のように面白い

本書を読んで、もっと語ってほしかった、という思いがいっそう強い。当時の思い出(と呼ぶにはあまりに複雑だったり辛かったりするのだが)と、その後著者が友人たちと再会を果たす様子などが生き生きと描かれて、ほんとうに小説のようだ。

とかく我々にとっての「世界」とは欧米であり、ヨーロッパと言っても西側止まりであるところへ、こうした生活と生きた感情を伴った記録はとても貴重だと思う。昔NHKでやっていた『世界こころの旅』のようでもあった。

その米原さんもほんの数年前、病気で亡くなってしまった。ひとくちに共産主義と言っても国家によっていろいろで、たとえばユーゴとソ連、中共とソ連、日本共産党とソ連共産党の対立やらある。もちろん語り部としての能力もすばらしい。

まだまだ若いし、活躍の真っ最中だっただけに残念である。

ロシア語の通訳として名を馳せ、その後手練のエッセイストとして評価の高かった米原さんは、突然のように逝ってしまったが、その米原さんが残してくれた、半ば自伝で、小説のように読めるエッセー集。

時代から言ってもプラハの春やら、その後には東欧及びソ連自体の崩壊があって、その中を生きて来て、また後半は通訳として関わった米原さんはまさに激動の時代の証人である。友人たちはそれを知っているのだろうか。

米原さんは、日本共産党党員であったお父さんの仕事の関係で、プラハのソビエト学校に、日本で言えば、小学校の終わりから中学ぐらいの5、6年通っていたらしい。

出身国もいろいろで、3人の友人はギリシア人のリッツァ、ルーマニア人のアーニャ、そしてユーゴ人のヤスミンカ。

当時のプラハといえばソ連共産党の主導のもと、国際共産主義の連携の拠点のようになっていたようで、学校の子どもたちはそうした共産党がらみの親たちの子弟である。

そこで身につけたロシア語が生涯の仕事にもなったわけだが、このエッセーは、当時プラハの学校でクラスメートだった友人3人の話を別々にまとめたものである。

ヨーロッパは地続きである、という実感

誰にでも学校時代があり、それを懐かしむことはあるけれど。それは単なる再会にとどまらない。

米原さんのように、プラハからの帰国子女、かつ9歳から14歳までの多感な時期を、旧ソ連の子女が通う学校(現地人の学校ではない)で過ごす、という経験をした日本人は滅多にいないだろう。

地続きのヨーロッパ。イデオロギー、民族、育った土地、国籍とは一体何なのか?米原さんの弱者に対する優しさ、妥協しない姿勢、そして生けるものに対する慈しみとともに、それを考えさせられる。

旧ソ連の社会主義崩壊がきっかけとなって、1990年代、米原さんはかつての同級生の消息を尋ねてゆく。ギリシャ、ルーマニア、旧ユーゴという出身地を持つ3人が、歴史の変化により人生を左右され、それでもなお淡々と、あるいはしたたかに生きる現在の姿を直視することでもあった。